2008年02月19日

<第66回>中野・多宝山成願寺

中野・多宝山成願寺を訪ねて《後編》
〜馬飼いの中野長者が建てた寺〜

成願寺写真3

成願寺写真4

多宝山成願寺
(たほうざん じょうがんじ)

宗派:曹洞宗正派
本尊:釈迦牟尼佛。他に百観音を安置
交通:地下鉄丸の内線・大江戸線「中野坂上駅」下車、南へ徒歩4分

600年ほど前、今の成願寺のあたりに住んでいた鈴木九郎は馬の飼育販売に成功し、それにより人々がこの地に集まり、中野本郷を形成。中野長者と呼ばれた鈴木九郎は、熊野権現を勧請、また早世した娘の供養に小田原最乗寺の禅師に依り正観寺を開く。江戸初期、長者邸址に移し成願寺と改称。明治に熊野神社を分離、現在に至る。現伽藍は木造本堂・明朝様式の三門(鐘桜堂)および長者ゆかりの百躰観音堂を特色とする。境内には中野長者塚、宝篋院塔、150体の石佛を含む旧家・武家の墓所があり、鍋島藩の墓所も存在する。幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を成願寺にあずけていたという記録がある。

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2008年02月13日

<第65回>中野・多宝山成願寺

中野・多宝山成願寺を訪ねて《前編》
〜馬飼いの中野長者が建てた寺〜

成願寺写真1

成願寺写真2

多宝山成願寺
(たほうざん じょうがんじ)

宗派:曹洞宗正派
本尊:釈迦牟尼佛。他に百観音を安置
交通:地下鉄丸の内線・大江戸線「中野坂上駅」下車、南へ徒歩4分

600年ほど前、今の成願寺のあたりに住んでいた鈴木九郎は馬の飼育販売に成功し、それにより人々がこの地に集まり、中野本郷を形成。中野長者と呼ばれた鈴木九郎は、熊野権現を勧請、また早世した娘の供養に小田原最乗寺の禅師に依り正観寺を開く。江戸初期、長者邸址に移し成願寺と改称。明治に熊野神社を分離、現在に至る。現伽藍は木造本堂・明朝様式の三門(鐘桜堂)および長者ゆかりの百躰観音堂を特色とする。境内には中野長者塚、宝篋院塔、150体の石佛を含む旧家・武家の墓所があり、鍋島藩の墓所も存在する。幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を成願寺にあずけていたという記録がある。

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2008年01月29日

<第64回>石神井・密乗院三寳寺

石神井・密乗院三寳寺を訪ねて《後編》
〜弘法大師信仰を現代に伝える、平和観音のお寺〜

三寶寺写真3


三寶寺写真4

亀頂山密乗院三寶寺
(きちょうざん みつじょういん さんぽうじ)

宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王
交通:西武新宿線「上石神井駅」から徒歩15分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお開山は南北朝時代の応永元(1394)年。当初は石神井池の南側、今の禅定院の場所にあり、石神井城の落城後にこの地に移ったと伝えられる。後北条氏や徳川氏から保護を受け、江戸時代には数十の末寺を近辺に持ち、府内八十八か所巡りの第16番札所として栄えた。山門は3代将軍家光がお成りになったことに因んで、御成門と称される。将軍家の鷹狩の際の休憩所になるなど、大いに栄えた。現在は武蔵野観音霊場のほか、本堂手前の大黒堂に石神井七福神の大黒天も祭られている。

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2008年01月25日

<第63回>石神井・密乗院三寳寺

石神井・密乗院三寳寺を訪ねて《前編》
〜弘法大師信仰を現代に伝える、平和観音のお寺〜

三寶寺写真1

三寶寺写真2

亀頂山密乗院三寶寺
(きちょうざん みつじょういん さんぽうじ)

宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王
交通:西武新宿線「上石神井駅」から徒歩15分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお開山は南北朝時代の応永元(1394)年。当初は石神井池の南側、今の禅定院の場所にあり、石神井城の落城後にこの地に移ったと伝えられる。後北条氏や徳川氏から保護を受け、江戸時代には数十の末寺を近辺に持ち、府内八十八か所巡りの第16番札所として栄えた。山門は3代将軍家光がお成りになったことに因んで、御成門と称される。将軍家の鷹狩の際の休憩所になるなど、大いに栄えた。現在は武蔵野観音霊場のほか、本堂手前の大黒堂に石神井七福神の大黒天も祭られている。

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2008年01月21日

<第62回>小石川・傳通院寿経寺

小石川・傳通院寿経寺を訪ねて《後編》
〜多くの学僧が学んだ将軍家ゆかりのお寺〜

傳通院写真3

傳通院写真4

無量山傳通院寿経寺
(むりょうざん でんづういん じゅきょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅より徒歩10分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺である。当時は小石川極楽水の小さな草庵だったが、約200年後の慶長7(1602)年に徳川家康の生母於大の方が逝去し、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと大伽藍が整えられた。また、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席として、学寮に席をおくもの千人ともいわれた。第二次世界大戦で建造物は灰燼と帰したが、昭和24(1949)年に本堂を再建、昭和63(1988)年には新本堂を建立し、現在に至っている。

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2008年01月19日

<第61回>小石川・傳通院寿経寺

小石川・傳通院寿経寺を訪ねて《前編》
〜多くの学僧が学んだ将軍家ゆかりのお寺〜

傳通院写真1

傳通院写真2


無量山傳通院寿経寺
(むりょうざん でんづういん じゅきょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅より徒歩10分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺である。当時は小石川極楽水の小さな草庵だったが、約200年後の慶長7(1602)年に徳川家康の生母於大の方が逝去し、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと大伽藍が整えられた。また、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席として、学寮に席をおくもの千人ともいわれた。第二次世界大戦で建造物は灰燼と帰したが、昭和24(1949)年に本堂を再建、昭和63(1988)年には新本堂を建立し、現在に至っている。

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2007年10月29日

東京散策 第60回

竹の塚・炎天寺を訪ねて《後編》
〜小林一茶の名句が生まれた蛙の寺〜

炎天寺写真3

炎天寺写真4

幡勝山成就院 炎天寺
(ばんしょうざん じょうじゅいん えんてんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:阿弥陀如来
交通:東武鉄道伊勢崎線「西新井」駅東口から徒歩15分

炎天寺は平安期の末、1056年(天喜4年)に創建された。同年旧暦6月に、奥州の反乱を鎮圧に赴く源頼義や八幡太郎義家父子の率いる軍勢が、野武士と戦い苦戦となったが、京の岩清水の八幡宮に祈念し勝利を得ることができた。そこで寺の隣に八幡宮を建立し、地名を六月村と改め、寺名を源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺としたと伝えられている。小林一茶の句で知られ、毎年「一茶まつり」が行われ、同時に全国小中学生俳句大会も開かれている。

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2007年10月23日

東京散策 第59回

竹の塚・炎天寺を訪ねて《前編》
〜小林一茶の名句が生まれた蛙の寺〜

炎天寺写真1

炎天寺写真2

幡勝山成就院 炎天寺
(ばんしょうざん じょうじゅいん えんてんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:阿弥陀如来
交通:東武鉄道伊勢崎線「西新井」駅東口から徒歩15分

炎天寺は平安期の末、1056年(天喜4年)に創建された。同年旧暦6月に、奥州の反乱を鎮圧に赴く源頼義や八幡太郎義家父子の率いる軍勢が、野武士と戦い苦戦となったが、京の岩清水の八幡宮に祈念し勝利を得ることができた。そこで寺の隣に八幡宮を建立し、地名を六月村と改め、寺名を源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺としたと伝えられている。小林一茶の句で知られ、毎年「一茶まつり」が行われ、同時に全国小中学生俳句大会も開かれている。

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2007年10月17日

東京散策 第58回

第58回 世田谷・豪徳寺を訪ねて《後編》
〜招き猫で知られる井伊家ゆかりのお寺〜

豪徳寺写真3

豪徳寺写真4

大溪山豪徳寺
(だいけいさん ごうとくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:東急世田谷線・宮坂駅すぐ
   小田急小田原線・豪徳寺駅から徒歩10分

文明12年(1480年)吉良頼高の娘の弘徳院のため創建され、初め臨済宗に属したが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じた。寛永10年(1633年)、世田谷を領した彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の江戸菩提寺として伽藍を創建し整備した。万治2年(1659年)直孝が没すると、その法号にちなみ豪徳寺と寺名を変更。幕末の彦根藩主で万延元年(1860年)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓もある(都指定史跡)。招き猫発祥の地とされ、招猫観音を祭る招猫殿への参拝者も多い。


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2007年10月11日

東京散策 第57回

第57回 世田谷・豪徳寺を訪ねて《前編》
〜招き猫で知られる井伊家ゆかりのお寺〜

豪徳寺写真1

豪徳寺写真2

大溪山豪徳寺
(だいけいさん ごうとくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:東急世田谷線・宮坂駅すぐ
   小田急小田原線・豪徳寺駅から徒歩10分

文明12年(1480年)吉良頼高の娘の弘徳院のため創建され、初め臨済宗に属したが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じた。寛永10年(1633年)、世田谷を領した彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の江戸菩提寺として伽藍を創建し整備した。万治2年(1659年)直孝が没すると、その法号にちなみ豪徳寺と寺名を変更。幕末の彦根藩主で万延元年(1860年)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓もある(都指定史跡)。招き猫発祥の地とされ、招猫観音を祭る招猫殿への参拝者も多い。


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