2007年06月29日

東京散策 第47回

第47回 大塚・護国寺を訪ねて<前編>
〜桂昌院発願の大隈重信・山県有朋らが眠る名刹〜

護国寺写真1

護国寺写真2

大本山 護国寺
(だいほんざん ごこくじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観世音菩薩
交通:東京メトロ有楽町線、護国寺駅下車すぐ

護国寺は天和元年(1681年)、5代将軍徳川綱吉公が生母桂昌院の発願により亮賢僧正を招き、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、寺領三百石を賜ったことに始まる。元禄10年(1697年)観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造宮を完成した。これが現在の観音堂(本堂)であり、元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下隋一のものと賞されている。明治16年(1883年)、大正15年(1926年)の火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。

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2007年06月24日

東京散策 第46回

第46回 金町・南蔵院を訪ねて<後編>
〜しばられ地蔵で知られる、大岡裁き〜

南蔵院写真3

南蔵院写真4

業平山 南蔵院
(なりひらさん なんぞういん)

宗派:天台宗
本尊:釈迦如来
交通:JR常磐線、東京メトロ千代田線、京成金町線の金町駅下車。
   徒歩15分

南蔵院は約650年前の貞和4年(1348年)に、林能法師の開創に成り、境内の地蔵堂には、しばられ地蔵尊を安置する。開創当初は、平安時代初期の貴族であり六歌仙のひとり、在原業平朝臣の東下りの縁の地墨堤の畔にあり、業平山の山号はこれより起った。江戸時代の寛永年間(1624年〜1643年)に本所中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、以来300年かの地に在り、大正12年(1923年)の関東大震災の厄に遭い、昭和4年(1929年)に現在地水元に転じた。

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2007年06月20日

東京散策 第45回

第45回 金町・南蔵院を訪ねて<前編>
〜しばられ地蔵で知られる、大岡裁き〜

南蔵院写真1

南蔵院写真2


業平山 南蔵院
(なりひらさん なんぞういん)

宗派:天台宗
本尊:釈迦如来
交通:JR常磐線、東京メトロ千代田線、京成金町線の金町駅下車。
   徒歩15分

南蔵院は約650年前の貞和4年(1348年)に、林能法師の開創に成り、境内の地蔵堂には、しばられ地蔵尊を安置する。開創当初は、平安時代初期の貴族であり六歌仙のひとり、在原業平朝臣の東下りの縁の地墨堤の畔にあり、業平山の山号はこれより起った。江戸時代の寛永年間(1624年〜1643年)に本所中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、以来300年かの地に在り、大正12年(1923年)の関東大震災の厄に遭い、昭和4年(1929年)に現在地水元に転じた。

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2007年06月16日

東京散策 第44回

第44回 両国・回向院を訪ねて<後編>
〜相撲とともに歴史を刻んできたお寺〜

回向院写真3

回向院写真4

諸宗山無縁寺回向院
(しょしゅうざん むえんじ えこういん)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:JR両国駅、地下鉄大江戸線両国駅 徒歩3〜5分

回向院は明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院である。この年、江戸で「振袖火事」で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼け10万人以上の人命が奪われ、当時の将軍家綱が無縁の人々の亡骸を葬るようにと隅田川東岸の地に土地を与えた。このときに念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりである。江戸後期になると勧進相撲の定場所が回向院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻した。

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2007年06月13日

東京散策 第43回

第43回 両国・回向院を訪ねて<前編>
〜相撲とともに歴史を刻んできたお寺〜

回向院写真1

回向院写真2

諸宗山無縁寺回向院
(しょしゅうざん むえんじ えこういん)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:JR両国駅、地下鉄大江戸線両国駅 徒歩3〜5分

回向院は明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院である。この年、江戸で「振袖火事」で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼け10万人以上の人命が奪われ、当時の将軍家綱が無縁の人々の亡骸を葬るようにと隅田川東岸の地に土地を与えた。このときに念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりである。江戸後期になると勧進相撲の定場所が回向院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻した。

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2007年06月10日

東京散策 第42回

第42回 白金・覚林寺を訪ねて<後編>
〜歴史の猛者、加藤清正が祀られた勝負祈願のお寺〜

覚林寺写真3

覚林寺写真4

最正山 覚林寺(白金清正公)
(さいしょうざん かくりんじ しろかねせいしょうこう)

宗派:日蓮宗
本尊:釈迦牟尼仏
交通:都営三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」下車。
   1番出口より徒歩5分

最正山覚林寺は寛永8年(1631年)に、可観院日延上人により開創された。日延上人は、加藤清正(肥後熊本藩の初代藩主)が朝鮮より連れてきた朝鮮国王子である。清正公に育てられた恩義を偲んでいた上人は、肥後熊本藩の中屋敷だった現在地に覚林寺を開創し、清正公の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、さらに清正公をも一緒に祀った。毎年5月4日、5日には清正公大祭が行われ、多数の露店、参拝者で賑わう。

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2007年06月07日

東京散策 第41回

第41回 白金・覚林寺を訪ねて<前編>
〜歴史の猛者、加藤清正が祀られた勝負祈願のお寺〜

覚林寺写真1

覚林寺写真2

最正山 覚林寺(白金清正公)
(さいしょうざん かくりんじ しろかねせいしょうこう)

宗派:日蓮宗
本尊:釈迦牟尼仏
交通:都営三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」下車。
   1番出口より徒歩5分

最正山覚林寺は寛永8年(1631年)に、可観院日延上人により開創された。日延上人は、加藤清正(肥後熊本藩の初代藩主)が朝鮮より連れてきた朝鮮国王子である。清正公に育てられた恩義を偲んでいた上人は、肥後熊本藩の中屋敷だった現在地に覚林寺を開創し、清正公の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、さらに清正公をも一緒に祀った。毎年5月4日、5日には清正公大祭が行われ、多数の露店、参拝者で賑わう。


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2007年06月04日

東京散策 第40回

第40回 青梅・塩船観音寺を訪ねて<後編>
〜四季の花々に彩られた、修験行者の通り道〜

塩船観音寺写真3

塩船観音寺写真4

別格本山 塩船観音寺
(べっかくほんざん しおふねかんのんじ)

宗派:真言宗醍醐派
本尊:十一面千手千眼観自在菩薩
交通:JR青梅線・河辺駅からバスで塩船観音入口へ。バス停より徒歩10分

塩船観音寺は、大化年間(645〜650年)に富山県(若狭)の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まったといわれる。周囲が小高い丘に囲まれて船の形に似ているので「塩船」と命名された。貞観年間(859〜877年)には比叡山の安然和尚が、観音堂を再興し、阿弥陀堂・薬師堂・十二の僧坊などを建立し興隆を極めた。明治時代に寺運は一時衰退したが、地域の人々の手により山内を整備し、ツツジが植えられ復興をとげた。室町時代に建てられた本堂、阿弥陀堂、仁王門は、国の重要文化財に指定されている。

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2007年06月01日

東京散策 第39回

第39回 青梅・塩船観音寺を訪ねて<前編>
〜四季の花々に彩られた、修験行者の通り道〜


塩船観音寺写真1

塩船観音寺写真2

別格本山 塩船観音寺
(べっかくほんざん しおふねかんのんじ)

宗派:真言宗醍醐派
本尊:十一面千手千眼観自在菩薩
交通:JR青梅線・河辺駅からバスで塩船観音入口へ。バス停より徒歩10分

塩船観音寺は、大化年間(645〜650年)に富山県(若狭)の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まったといわれる。周囲が小高い丘に囲まれて船の形に似ているので「塩船」と命名された。貞観年間(859〜877年)には比叡山の安然和尚が、観音堂を再興し、阿弥陀堂・薬師堂・十二の僧坊などを建立し興隆を極めた。明治時代に寺運は一時衰退したが、地域の人々の手により山内を整備し、ツツジが植えられ復興をとげた。
室町時代に建てられた本堂、阿弥陀堂、仁王門は、国の重要文化財に指定されている。

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