2008年02月19日

<第66回>中野・多宝山成願寺

中野・多宝山成願寺を訪ねて《後編》
〜馬飼いの中野長者が建てた寺〜

成願寺写真3

成願寺写真4

多宝山成願寺
(たほうざん じょうがんじ)

宗派:曹洞宗正派
本尊:釈迦牟尼佛。他に百観音を安置
交通:地下鉄丸の内線・大江戸線「中野坂上駅」下車、南へ徒歩4分

600年ほど前、今の成願寺のあたりに住んでいた鈴木九郎は馬の飼育販売に成功し、それにより人々がこの地に集まり、中野本郷を形成。中野長者と呼ばれた鈴木九郎は、熊野権現を勧請、また早世した娘の供養に小田原最乗寺の禅師に依り正観寺を開く。江戸初期、長者邸址に移し成願寺と改称。明治に熊野神社を分離、現在に至る。現伽藍は木造本堂・明朝様式の三門(鐘桜堂)および長者ゆかりの百躰観音堂を特色とする。境内には中野長者塚、宝篋院塔、150体の石佛を含む旧家・武家の墓所があり、鍋島藩の墓所も存在する。幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を成願寺にあずけていたという記録がある。

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2008年02月13日

<第65回>中野・多宝山成願寺

中野・多宝山成願寺を訪ねて《前編》
〜馬飼いの中野長者が建てた寺〜

成願寺写真1

成願寺写真2

多宝山成願寺
(たほうざん じょうがんじ)

宗派:曹洞宗正派
本尊:釈迦牟尼佛。他に百観音を安置
交通:地下鉄丸の内線・大江戸線「中野坂上駅」下車、南へ徒歩4分

600年ほど前、今の成願寺のあたりに住んでいた鈴木九郎は馬の飼育販売に成功し、それにより人々がこの地に集まり、中野本郷を形成。中野長者と呼ばれた鈴木九郎は、熊野権現を勧請、また早世した娘の供養に小田原最乗寺の禅師に依り正観寺を開く。江戸初期、長者邸址に移し成願寺と改称。明治に熊野神社を分離、現在に至る。現伽藍は木造本堂・明朝様式の三門(鐘桜堂)および長者ゆかりの百躰観音堂を特色とする。境内には中野長者塚、宝篋院塔、150体の石佛を含む旧家・武家の墓所があり、鍋島藩の墓所も存在する。幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を成願寺にあずけていたという記録がある。

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2008年01月29日

<第64回>石神井・密乗院三寳寺

石神井・密乗院三寳寺を訪ねて《後編》
〜弘法大師信仰を現代に伝える、平和観音のお寺〜

三寶寺写真3


三寶寺写真4

亀頂山密乗院三寶寺
(きちょうざん みつじょういん さんぽうじ)

宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王
交通:西武新宿線「上石神井駅」から徒歩15分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお開山は南北朝時代の応永元(1394)年。当初は石神井池の南側、今の禅定院の場所にあり、石神井城の落城後にこの地に移ったと伝えられる。後北条氏や徳川氏から保護を受け、江戸時代には数十の末寺を近辺に持ち、府内八十八か所巡りの第16番札所として栄えた。山門は3代将軍家光がお成りになったことに因んで、御成門と称される。将軍家の鷹狩の際の休憩所になるなど、大いに栄えた。現在は武蔵野観音霊場のほか、本堂手前の大黒堂に石神井七福神の大黒天も祭られている。

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2008年01月25日

<第63回>石神井・密乗院三寳寺

石神井・密乗院三寳寺を訪ねて《前編》
〜弘法大師信仰を現代に伝える、平和観音のお寺〜

三寶寺写真1

三寶寺写真2

亀頂山密乗院三寶寺
(きちょうざん みつじょういん さんぽうじ)

宗派:真言宗智山派
本尊:不動明王
交通:西武新宿線「上石神井駅」から徒歩15分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお開山は南北朝時代の応永元(1394)年。当初は石神井池の南側、今の禅定院の場所にあり、石神井城の落城後にこの地に移ったと伝えられる。後北条氏や徳川氏から保護を受け、江戸時代には数十の末寺を近辺に持ち、府内八十八か所巡りの第16番札所として栄えた。山門は3代将軍家光がお成りになったことに因んで、御成門と称される。将軍家の鷹狩の際の休憩所になるなど、大いに栄えた。現在は武蔵野観音霊場のほか、本堂手前の大黒堂に石神井七福神の大黒天も祭られている。

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2008年01月21日

<第62回>小石川・傳通院寿経寺

小石川・傳通院寿経寺を訪ねて《後編》
〜多くの学僧が学んだ将軍家ゆかりのお寺〜

傳通院写真3

傳通院写真4

無量山傳通院寿経寺
(むりょうざん でんづういん じゅきょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅より徒歩10分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺である。当時は小石川極楽水の小さな草庵だったが、約200年後の慶長7(1602)年に徳川家康の生母於大の方が逝去し、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと大伽藍が整えられた。また、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席として、学寮に席をおくもの千人ともいわれた。第二次世界大戦で建造物は灰燼と帰したが、昭和24(1949)年に本堂を再建、昭和63(1988)年には新本堂を建立し、現在に至っている。

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2008年01月19日

<第61回>小石川・傳通院寿経寺

小石川・傳通院寿経寺を訪ねて《前編》
〜多くの学僧が学んだ将軍家ゆかりのお寺〜

傳通院写真1

傳通院写真2


無量山傳通院寿経寺
(むりょうざん でんづういん じゅきょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅より徒歩10分

傳通院は、応永22(1415)年、浄土宗第七祖了誉聖冏上人が開山したお寺である。当時は小石川極楽水の小さな草庵だったが、約200年後の慶長7(1602)年に徳川家康の生母於大の方が逝去し、この寿経寺を菩提寺と定められ、於大の方の法名「傳通院殿」から「傳通院」と呼ばれるようになり、徳川家の庇護のもと大伽藍が整えられた。また、関東の十八檀林(僧の学問修行所)の上席として、学寮に席をおくもの千人ともいわれた。第二次世界大戦で建造物は灰燼と帰したが、昭和24(1949)年に本堂を再建、昭和63(1988)年には新本堂を建立し、現在に至っている。

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2007年10月29日

東京散策 第60回

竹の塚・炎天寺を訪ねて《後編》
〜小林一茶の名句が生まれた蛙の寺〜

炎天寺写真3

炎天寺写真4

幡勝山成就院 炎天寺
(ばんしょうざん じょうじゅいん えんてんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:阿弥陀如来
交通:東武鉄道伊勢崎線「西新井」駅東口から徒歩15分

炎天寺は平安期の末、1056年(天喜4年)に創建された。同年旧暦6月に、奥州の反乱を鎮圧に赴く源頼義や八幡太郎義家父子の率いる軍勢が、野武士と戦い苦戦となったが、京の岩清水の八幡宮に祈念し勝利を得ることができた。そこで寺の隣に八幡宮を建立し、地名を六月村と改め、寺名を源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺としたと伝えられている。小林一茶の句で知られ、毎年「一茶まつり」が行われ、同時に全国小中学生俳句大会も開かれている。

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2007年10月23日

東京散策 第59回

竹の塚・炎天寺を訪ねて《前編》
〜小林一茶の名句が生まれた蛙の寺〜

炎天寺写真1

炎天寺写真2

幡勝山成就院 炎天寺
(ばんしょうざん じょうじゅいん えんてんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:阿弥陀如来
交通:東武鉄道伊勢崎線「西新井」駅東口から徒歩15分

炎天寺は平安期の末、1056年(天喜4年)に創建された。同年旧暦6月に、奥州の反乱を鎮圧に赴く源頼義や八幡太郎義家父子の率いる軍勢が、野武士と戦い苦戦となったが、京の岩清水の八幡宮に祈念し勝利を得ることができた。そこで寺の隣に八幡宮を建立し、地名を六月村と改め、寺名を源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺としたと伝えられている。小林一茶の句で知られ、毎年「一茶まつり」が行われ、同時に全国小中学生俳句大会も開かれている。

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2007年10月17日

東京散策 第58回

第58回 世田谷・豪徳寺を訪ねて《後編》
〜招き猫で知られる井伊家ゆかりのお寺〜

豪徳寺写真3

豪徳寺写真4

大溪山豪徳寺
(だいけいさん ごうとくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:東急世田谷線・宮坂駅すぐ
   小田急小田原線・豪徳寺駅から徒歩10分

文明12年(1480年)吉良頼高の娘の弘徳院のため創建され、初め臨済宗に属したが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じた。寛永10年(1633年)、世田谷を領した彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の江戸菩提寺として伽藍を創建し整備した。万治2年(1659年)直孝が没すると、その法号にちなみ豪徳寺と寺名を変更。幕末の彦根藩主で万延元年(1860年)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓もある(都指定史跡)。招き猫発祥の地とされ、招猫観音を祭る招猫殿への参拝者も多い。


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2007年10月11日

東京散策 第57回

第57回 世田谷・豪徳寺を訪ねて《前編》
〜招き猫で知られる井伊家ゆかりのお寺〜

豪徳寺写真1

豪徳寺写真2

大溪山豪徳寺
(だいけいさん ごうとくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:東急世田谷線・宮坂駅すぐ
   小田急小田原線・豪徳寺駅から徒歩10分

文明12年(1480年)吉良頼高の娘の弘徳院のため創建され、初め臨済宗に属したが、天正12年(1584年)曹洞宗に転じた。寛永10年(1633年)、世田谷を領した彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の江戸菩提寺として伽藍を創建し整備した。万治2年(1659年)直孝が没すると、その法号にちなみ豪徳寺と寺名を変更。幕末の彦根藩主で万延元年(1860年)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓もある(都指定史跡)。招き猫発祥の地とされ、招猫観音を祭る招猫殿への参拝者も多い。


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2007年10月05日

東京散策 第56回

第56回 あきる野・大悲願寺を訪ねて《後編》
〜伊達政宗の心をとらえた白萩のある名刹〜

大悲願寺写真3

大悲願寺写真4

大悲願寺
(だいひがんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:伝阿弥陀如来三尊像
交通:JR五日市線、武蔵五日市駅より徒歩20分

大悲願寺は、1191(建久2)年に源頼朝が壇越となり、澄秀を開山として平山季重が創建したと伝えられる。開山の澄秀が醍醐の三宝院と関係があったことから、長く同院の末であったが、1896(明治29)年に大和の長谷寺の末となった。9月中旬〜下旬に花をつける白萩の寺としても有名であり、13世海譽の元で弟子をしていた弟・秀雄のもとを伊達政宗が訪れたときに、庭にあった白萩を気に入り、所望するため送ったという白萩所望の文書も残る。また、多摩新四国八十八ヶ所第59番札所にもなっている。

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2007年09月29日

東京散策 第55回

第55回 あきる野・大悲願寺を訪ねて《前編》
〜伊達政宗の心をとらえた白萩のある名刹〜

大悲願寺写真1

大悲願寺写真2

大悲願寺
(だいひがんじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:伝阿弥陀如来三尊像
交通:JR五日市線、武蔵五日市駅より徒歩20分

大悲願寺は、1191(建久2)年に源頼朝が壇越となり、澄秀を開山として平山季重が創建したと伝えられる。開山の澄秀が醍醐の三宝院と関係があったことから、長く同院の末であったが、1896(明治29)年に大和の長谷寺の末となった。9月中旬〜下旬に花をつける白萩の寺としても有名であり、13世海譽の元で弟子をしていた弟・秀雄のもとを伊達政
宗が訪れたときに、庭にあった白萩を気に入り、所望するため送ったという白萩所望の文書も残る。また、多摩新四国八十八ヶ所第59番札所にもなっている。

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2007年09月23日

東京散策 アンコール企画

第12回 上野・寛永寺を訪ねて<後編>

寛永寺写真3

寛永寺写真4

東叡山寛永寺
(とうえいざんかんえいじ)

宗派:天台宗
本尊:薬師如来
交通:JR 上野駅より徒歩15分 JR 鶯谷駅より徒歩5分

江戸時代の寛永2年(1625年)、3代将軍徳川家光を開基とし、天海によって開山された。徳川家の菩提寺であり、霊園には徳川将軍15人のうち6人が眠っている。現在の上野公園のほぼ全域を寺地として有していた。幕末の慶応4年(1868年)には、彰義隊と新政府軍との戦場にもなった。現在は、根本中堂(本堂)、弁天堂、清水観音堂などが上野公園内外に点在して残っている。

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2007年09月19日

東京散策 アンコール企画

第11回 上野・寛永寺を訪ねて<前編>

寛永寺写真1

寛永寺写真2

東叡山寛永寺
(とうえいざんかんえいじ)

宗派:天台宗
本尊:薬師如来
交通:JR 上野駅より徒歩15分 JR 鶯谷駅より徒歩5分

江戸時代の寛永2年(1625年)、3代将軍徳川家光を開基とし、天海によって開山された。徳川家の菩提寺であり、霊園には徳川将軍15人のうち6人が眠っている。現在の上野公園のほぼ全域を寺地として有していた。幕末の慶応4年(1868年)には、彰義隊と新政府軍との戦場にもなった。現在は、根本中堂(本堂)、弁天堂、清水観音堂などが上野公園内外に点在して残っている。

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2007年09月15日

東京散策 アンコール企画

第10回 東村山・正福寺を訪ねて<後編>

正福寺写真3

正福寺写真4

金剛山正福寺(千体地蔵堂)
(こんごうさんしょうふくじ せんたいじぞうどう)

宗派:臨済宗
本尊:地蔵菩薩
交通:西武新宿線、西武西武園線、西武国分寺線「東村山駅」より徒歩15分

鎌倉時代、弘安元年(1278年)に臨済宗建長寺派の末寺として、執権北条時宗によって開創されたと伝えられる。時宗の夢枕に地蔵菩薩が現れ、時宗を病から救ったため、開創に至ったともいわれる。千体地蔵堂は、室町時代の応永14年(1407年)の建立であると推定される。



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2007年09月11日

東京散策 アンコール企画

第9回 東村山・正福寺を訪ねて<前編>

正福寺写真1

正福寺写真2

金剛山正福寺(千体地蔵堂)
(こんごうさんしょうふくじ せんたいじぞうどう)

宗派:臨済宗
本尊:地蔵菩薩
交通:西武新宿線、西武西武園線、西武国分寺線「東村山駅」より徒歩15分

鎌倉時代、弘安元年(1278年)に臨済宗建長寺派の末寺として、執権北条時宗によって開創されたと伝えられる。時宗の夢枕に地蔵菩薩が現れ、時宗を病から救ったため、開創に至ったともいわれる。千体地蔵堂は、室町時代の応永14年(1407年)の建立であると推定される。

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2007年09月07日

東京散策 アンコール企画

第8回 深川・深川不動尊を訪ねて<後編>

深川不動尊写真3

深川不動尊写真4

成田山新勝寺別院 深川不動堂 <深川不動尊>
(なりたさんしんしょうじべついん ふかがわふどうどう<ふかがわふどうそん>)

宗派:真言宗
本尊:不動明王
交通:東西線・都営大江戸線「門前仲町駅」より徒歩3分

1703年(元禄16年)、深川永代寺に成田山から不動明王を運んできて開帳したことが起こりである。明治時代には神仏分離令によって、永代寺は廃寺になり、境内は深川公園になったが、明治2年に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、明治14年には本堂が完成する。

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2007年09月03日

東京散策 アンコール企画

第7回 深川・深川不動尊を訪ねて<前編>

深川不動尊写真1

深川不動尊写真2

成田山新勝寺別院 深川不動堂 <深川不動尊>
(なりたさんしんしょうじべついん ふかがわふどうどう<ふかがわふどうそん>)

宗派:真言宗
本尊:不動明王
交通:東西線・都営大江戸線「門前仲町駅」より徒歩3分

1703年(元禄16年)、深川永代寺に成田山から不動明王を運んできて開帳したことが起こりである。明治時代には神仏分離令によって、永代寺は廃寺になり、境内は深川公園になったが、明治2年に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、明治14年には本堂が完成する。

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2007年08月30日

東京散策 アンコール企画

第6回 麻布・善福寺を訪ねて<後編>

善福寺写真3

善福寺写真4

麻布山善福寺(あざぶさんぜんぷくじ)

宗派:浄土真宗本願寺派
本尊:阿弥陀如来
交通:大江戸線「麻布十番駅」より徒歩10分、
   南北線「麻布十番駅」より徒歩5分

弘法大師が、824年(平安・天長元年)、関東一円に真言宗を広めるために、高野山に模して開山した。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院。鎌倉時代に親鸞の訪問を受け、真言宗から浄土真宗に改宗。

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2007年08月26日

東京散策 アンコール企画

第5回 麻布・善福寺を訪ねて<前編>

善福寺写真1

善福寺写真2

麻布山善福寺(あざぶさんぜんぷくじ)

宗派:浄土真宗本願寺派
本尊:阿弥陀如来
交通:大江戸線「麻布十番駅」より徒歩10分、
   南北線「麻布十番駅」より徒歩5分

弘法大師が、824年(平安・天長元年)、関東一円に真言宗を広めるために、
高野山に模して開山した。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院。鎌倉時代
に親鸞の訪問を受け、真言宗から浄土真宗に改宗。

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2007年08月22日

東京散策 アンコール企画

第4回 柴又・題経寺を訪ねて<後編>

題経寺写真3

題経寺写真4

題経寺
(通称:柴又帝釈天)

宗派:日蓮宗
本尊:帝釈天
交通:京成金町線「柴又駅」より徒歩5分

300年ほど前に開かれ、日蓮聖人が刻んだとされる帝釈天の板像を本尊としています。この板本尊は、江戸中期に一旦所在不明となりましたが、1779年(安永八年)の春、本堂改修中に発見され、その日が暦の上の庚申(かのえさる)に当たったので、60日ごとの庚申の日にお参りする習慣が盛んになりました。

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2007年08月18日

東京散策 アンコール企画

第3回 柴又・題経寺を訪ねて<前編>

題経寺写真1

題経寺写真2

題経寺
(通称:柴又帝釈天)

宗派:日蓮宗
本尊:帝釈天
交通:京成金町線「柴又駅」より徒歩5分

300年ほど前に開かれ、日蓮聖人が刻んだとされる帝釈天の板像を本尊としています。この板本尊は、江戸中期に一旦所在不明となりましたが、1779年(安永八年)の春、本堂改修中に発見され、その日が暦の上の庚申(かのえさる)に当たったので、60日ごとの庚申の日にお参りする習慣が盛んになりました。



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2007年08月13日

東京散策 アンコール企画

第2回 等々力・等々力不動尊を訪ねて<後編>

等々力不動写真3

等々力不動写真4

等々力不動尊
(正式名:瀧轟山満願寺別院)

宗派:真言宗
本尊:大聖不動明王
交通:東急大井町線等々力駅より徒歩7分

900年ほど前、興教大師が役の行者のお告げを夢に見て、
そのお告げに従い、京から不動明王像を背にして運び、
滝の上に奉納したのが始まりと言われています。

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2007年08月08日

東京散策 アンコール企画

第1回 等々力・等々力不動尊を訪ねて<前編>

等々力不動写真1

等々力不動写真2

等々力不動尊
(正式名:瀧轟山満願寺別院)

宗派:真言宗
本尊:大聖不動明王
交通:東急大井町線等々力駅より徒歩7分

900年ほど前、興教大師が役の行者のお告げを夢に見て、
そのお告げに従い、京から不動明王像を背にして運び、
滝の上に奉納したのが始まりと言われています。

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2007年08月03日

東京散策 第54回

第54回 浅草・本龍院を訪ねて《後編》
〜大根と巾着のお寺で知られる待乳山聖天〜

本龍院写真3

本龍院写真4

待乳山本龍院
(まつちやまほんりゅういん)

宗派:聖観音宗
本尊:大聖歓喜天
交通:東京メトロ銀座線、都営浅草線、東武伊勢崎線の浅草駅下車10分

本龍院のある待乳山(まつちやま)は、推古3年(595年)に一夜にして現れ、その時金龍が舞い降りたとされることから金龍山と号する。その後、推古9年(601年)、大干魃の時に十一面観世音菩薩がこの山に降りたと伝えられている。江戸時代中期には、詩や歌にも詠まれ江戸名所の一つとして知られ、参道には茶屋が軒をならべた。震災戦災に遭った本堂は昭和24年(1949年)再建に着手、36年(1961年)に完成。内部は旧本堂の様式を踏襲している。外陣格天井には墨画の竜などが奉額されている。

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2007年07月29日

東京散策 第53回

第53回 浅草・本龍院を訪ねて《前編》
〜大根と巾着のお寺で知られる待乳山聖天〜

本龍院写真1

本龍院写真2

待乳山本龍院
(まつちやまほんりゅういん)

宗派:聖観音宗
本尊:大聖歓喜天
交通:東京メトロ銀座線、都営浅草線、東武伊勢崎線の浅草駅下車10分

本龍院のある待乳山(まつちやま)は、推古3年(595年)に一夜にして現れ、その時金龍が舞い降りたとされることから金龍山と号する。その後、推古9年(601年)、大干魃の時に十一面観世音菩薩がこの山に降りたと伝えられている。江戸時代中期には、詩や歌にも詠まれ江戸名所の一つとして知られ、参道には茶屋が軒をならべた。震災戦災に遭った本堂は昭和24年(1949年)再建に着手、36年(1961年)に完成。内部は旧本堂の様式を踏襲している。外陣格天井には墨画の竜などが奉額されている。

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2007年07月24日

東京散策 第52回

第52回 目黒・瀧泉寺を訪ねて《後編》
〜目黒不動の名で親しまれる、日本三大不動の名刹〜

瀧泉寺写真3

瀧泉寺写真4


泰叡山瀧泉寺
(たいえいざん りゅうせんじ)

宗派:天台宗
本尊:不動明王像
交通:JR山手線・目黒駅より徒歩20分
   東急目黒線・不動前駅より徒歩15分

瀧泉寺は、平安時代(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山の最澄のもとへ向かう途中に、この地に立ち寄り不動明王像を彫刻し安置したのに創まる。関東最古の不動霊場であり日本三大不動の一つ。江戸時代には徳川三代将軍家光が尊信し、五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げ、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして江戸城
守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所となった。明治時代には西郷隆盛や東郷元帥等が信仰を寄せた。また、さつまいもの栽培を広めた青木昆陽の墓があり国の史跡となっている。



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2007年07月19日

東京散策 第51回

第51回 目黒・瀧泉寺を訪ねて《前編》
〜目黒不動の名で親しまれる、日本三大不動の名刹〜

瀧泉寺写真1

瀧泉寺写真2


泰叡山瀧泉寺
(たいえいざん りゅうせんじ)

宗派:天台宗
本尊:不動明王像
交通:JR山手線・目黒駅より徒歩20分
   東急目黒線・不動前駅より徒歩15分

瀧泉寺は、平安時代(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山の最澄のもとへ向かう途中に、この地に立ち寄り不動明王像を彫刻し安置したのに創まる。関東最古の不動霊場であり日本三大不動の一つ。江戸時代には徳川三代将軍家光が尊信し、五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げ、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして江戸城
守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所となった。明治時代には西郷隆盛や東郷元帥等が信仰を寄せた。また、さつまいもの栽培を広めた青木昆陽の墓があり国の史跡となっている。


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2007年07月14日

東京散策 第50回

第50回 芝公園・増上寺を訪ねて<後編>
〜江戸に響いた、芝の鐘〜

増上寺写真3

増上寺写真4

三縁山広度院 増上寺
(さんえんざんこうどいん ぞうじょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来・南無阿弥陀仏
交通:都営地下鉄・三田線「御成門」駅、「芝公園」駅から徒歩3分

増上寺は明徳4年(1393年)、酉誉聖聡上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建。文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東の浄土宗教学の殿堂だった。江戸時代の初め、源誉存応(げんよぞんのう)が徳川家康の帰依を受け、大伽藍が造営された。以後、徳川家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆。また、総録所として浄土宗の統制機関ともなった。戦災で、徳川家の霊廟は焼失したが、焼失をのがれた三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・黒門(くろもん)などを含む境内は、昭和49年(1974年)完成の大本堂とともに、近代的に整備されている。

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2007年07月09日

東京散策 第49回

第49回 芝公園・増上寺を訪ねて<前編>
〜江戸に響いた、芝の鐘〜

増上寺写真1

増上寺写真2

三縁山広度院 増上寺
(さんえんざんこうどいん ぞうじょうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来・南無阿弥陀仏
交通:都営地下鉄・三田線「御成門」駅、「芝公園」駅から徒歩3分

増上寺は明徳4年(1393年)、酉誉聖聡上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建。文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東の浄土宗教学の殿堂だった。江戸時代の初め、源誉存応(げんよぞんのう)が徳川家康の帰依を受け、大伽藍が造営された。以後、徳川家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆。また、総録所として浄土宗の統制機関ともなった。戦災で、徳川家の霊廟は焼失したが、焼失をのがれた三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・黒門(くろもん)などを含む境内は、昭和49年(1974年)完成の大本堂とともに、近代的に整備されている。

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