2007年07月04日

東京散策 第48回

第48回 大塚・護国寺を訪ねて<後編>
〜桂昌院発願の大隈重信・山県有朋らが眠る名刹〜

護国寺写真3

護国寺写真4

大本山 護国寺
(だいほんざん ごこくじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観世音菩薩
交通:東京メトロ有楽町線、護国寺駅下車すぐ

護国寺は天和元年(1681年)、5代将軍徳川綱吉公が生母桂昌院の発願により亮賢僧正を招き、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、寺領三百石を賜ったことに始まる。元禄10年(1697年)観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造宮を完成した。これが現在の観音堂(本堂)であり、元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下隋一のものと賞されている。明治16年(1883年)、大正15年(1926年)の火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。

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2007年06月29日

東京散策 第47回

第47回 大塚・護国寺を訪ねて<前編>
〜桂昌院発願の大隈重信・山県有朋らが眠る名刹〜

護国寺写真1

護国寺写真2

大本山 護国寺
(だいほんざん ごこくじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:如意輪観世音菩薩
交通:東京メトロ有楽町線、護国寺駅下車すぐ

護国寺は天和元年(1681年)、5代将軍徳川綱吉公が生母桂昌院の発願により亮賢僧正を招き、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、寺領三百石を賜ったことに始まる。元禄10年(1697年)観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造宮を完成した。これが現在の観音堂(本堂)であり、元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下隋一のものと賞されている。明治16年(1883年)、大正15年(1926年)の火災で堂宇の多くを失ったが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝えている。

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2007年06月24日

東京散策 第46回

第46回 金町・南蔵院を訪ねて<後編>
〜しばられ地蔵で知られる、大岡裁き〜

南蔵院写真3

南蔵院写真4

業平山 南蔵院
(なりひらさん なんぞういん)

宗派:天台宗
本尊:釈迦如来
交通:JR常磐線、東京メトロ千代田線、京成金町線の金町駅下車。
   徒歩15分

南蔵院は約650年前の貞和4年(1348年)に、林能法師の開創に成り、境内の地蔵堂には、しばられ地蔵尊を安置する。開創当初は、平安時代初期の貴族であり六歌仙のひとり、在原業平朝臣の東下りの縁の地墨堤の畔にあり、業平山の山号はこれより起った。江戸時代の寛永年間(1624年〜1643年)に本所中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、以来300年かの地に在り、大正12年(1923年)の関東大震災の厄に遭い、昭和4年(1929年)に現在地水元に転じた。

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2007年06月20日

東京散策 第45回

第45回 金町・南蔵院を訪ねて<前編>
〜しばられ地蔵で知られる、大岡裁き〜

南蔵院写真1

南蔵院写真2


業平山 南蔵院
(なりひらさん なんぞういん)

宗派:天台宗
本尊:釈迦如来
交通:JR常磐線、東京メトロ千代田線、京成金町線の金町駅下車。
   徒歩15分

南蔵院は約650年前の貞和4年(1348年)に、林能法師の開創に成り、境内の地蔵堂には、しばられ地蔵尊を安置する。開創当初は、平安時代初期の貴族であり六歌仙のひとり、在原業平朝臣の東下りの縁の地墨堤の畔にあり、業平山の山号はこれより起った。江戸時代の寛永年間(1624年〜1643年)に本所中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)に移り、以来300年かの地に在り、大正12年(1923年)の関東大震災の厄に遭い、昭和4年(1929年)に現在地水元に転じた。

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2007年06月16日

東京散策 第44回

第44回 両国・回向院を訪ねて<後編>
〜相撲とともに歴史を刻んできたお寺〜

回向院写真3

回向院写真4

諸宗山無縁寺回向院
(しょしゅうざん むえんじ えこういん)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:JR両国駅、地下鉄大江戸線両国駅 徒歩3〜5分

回向院は明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院である。この年、江戸で「振袖火事」で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼け10万人以上の人命が奪われ、当時の将軍家綱が無縁の人々の亡骸を葬るようにと隅田川東岸の地に土地を与えた。このときに念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりである。江戸後期になると勧進相撲の定場所が回向院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻した。

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2007年06月13日

東京散策 第43回

第43回 両国・回向院を訪ねて<前編>
〜相撲とともに歴史を刻んできたお寺〜

回向院写真1

回向院写真2

諸宗山無縁寺回向院
(しょしゅうざん むえんじ えこういん)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:JR両国駅、地下鉄大江戸線両国駅 徒歩3〜5分

回向院は明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院である。この年、江戸で「振袖火事」で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼け10万人以上の人命が奪われ、当時の将軍家綱が無縁の人々の亡骸を葬るようにと隅田川東岸の地に土地を与えた。このときに念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりである。江戸後期になると勧進相撲の定場所が回向院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻した。

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2007年06月10日

東京散策 第42回

第42回 白金・覚林寺を訪ねて<後編>
〜歴史の猛者、加藤清正が祀られた勝負祈願のお寺〜

覚林寺写真3

覚林寺写真4

最正山 覚林寺(白金清正公)
(さいしょうざん かくりんじ しろかねせいしょうこう)

宗派:日蓮宗
本尊:釈迦牟尼仏
交通:都営三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」下車。
   1番出口より徒歩5分

最正山覚林寺は寛永8年(1631年)に、可観院日延上人により開創された。日延上人は、加藤清正(肥後熊本藩の初代藩主)が朝鮮より連れてきた朝鮮国王子である。清正公に育てられた恩義を偲んでいた上人は、肥後熊本藩の中屋敷だった現在地に覚林寺を開創し、清正公の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、さらに清正公をも一緒に祀った。毎年5月4日、5日には清正公大祭が行われ、多数の露店、参拝者で賑わう。

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2007年06月07日

東京散策 第41回

第41回 白金・覚林寺を訪ねて<前編>
〜歴史の猛者、加藤清正が祀られた勝負祈願のお寺〜

覚林寺写真1

覚林寺写真2

最正山 覚林寺(白金清正公)
(さいしょうざん かくりんじ しろかねせいしょうこう)

宗派:日蓮宗
本尊:釈迦牟尼仏
交通:都営三田線・東京メトロ南北線「白金高輪駅」下車。
   1番出口より徒歩5分

最正山覚林寺は寛永8年(1631年)に、可観院日延上人により開創された。日延上人は、加藤清正(肥後熊本藩の初代藩主)が朝鮮より連れてきた朝鮮国王子である。清正公に育てられた恩義を偲んでいた上人は、肥後熊本藩の中屋敷だった現在地に覚林寺を開創し、清正公の守護仏である釈迦牟尼仏を本尊とし、さらに清正公をも一緒に祀った。毎年5月4日、5日には清正公大祭が行われ、多数の露店、参拝者で賑わう。


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2007年06月04日

東京散策 第40回

第40回 青梅・塩船観音寺を訪ねて<後編>
〜四季の花々に彩られた、修験行者の通り道〜

塩船観音寺写真3

塩船観音寺写真4

別格本山 塩船観音寺
(べっかくほんざん しおふねかんのんじ)

宗派:真言宗醍醐派
本尊:十一面千手千眼観自在菩薩
交通:JR青梅線・河辺駅からバスで塩船観音入口へ。バス停より徒歩10分

塩船観音寺は、大化年間(645〜650年)に富山県(若狭)の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まったといわれる。周囲が小高い丘に囲まれて船の形に似ているので「塩船」と命名された。貞観年間(859〜877年)には比叡山の安然和尚が、観音堂を再興し、阿弥陀堂・薬師堂・十二の僧坊などを建立し興隆を極めた。明治時代に寺運は一時衰退したが、地域の人々の手により山内を整備し、ツツジが植えられ復興をとげた。室町時代に建てられた本堂、阿弥陀堂、仁王門は、国の重要文化財に指定されている。

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2007年06月01日

東京散策 第39回

第39回 青梅・塩船観音寺を訪ねて<前編>
〜四季の花々に彩られた、修験行者の通り道〜


塩船観音寺写真1

塩船観音寺写真2

別格本山 塩船観音寺
(べっかくほんざん しおふねかんのんじ)

宗派:真言宗醍醐派
本尊:十一面千手千眼観自在菩薩
交通:JR青梅線・河辺駅からバスで塩船観音入口へ。バス停より徒歩10分

塩船観音寺は、大化年間(645〜650年)に富山県(若狭)の八百比丘尼が紫金の千手観音像を安置したことに始まったといわれる。周囲が小高い丘に囲まれて船の形に似ているので「塩船」と命名された。貞観年間(859〜877年)には比叡山の安然和尚が、観音堂を再興し、阿弥陀堂・薬師堂・十二の僧坊などを建立し興隆を極めた。明治時代に寺運は一時衰退したが、地域の人々の手により山内を整備し、ツツジが植えられ復興をとげた。
室町時代に建てられた本堂、阿弥陀堂、仁王門は、国の重要文化財に指定されている。

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2007年05月08日

東京散策 第38回

第38回 新宿・太宗寺を訪ねて<後編>
〜内藤新宿の信仰文化が生んだ都会の異空間〜

太宗寺写真3

太宗寺写真4


霞関山本覚院太宗寺
(かがんざん ほんがくいん たいそうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:地下鉄丸の内線・新宿御苑前駅 徒歩3分

太宗寺は、慶長年間(1596年〜1615年)に太宗という僧侶が建てた「太宗庵」が前身。太宗は、現在の新宿御苑一帯を下屋敷としていた内藤家の信望を得て、寛永6年(1629年)内藤家第5代正勝逝去の際には葬儀を一切とりしきり、墓所もこの地に置くことになった。これが縁で、寛文8年(1668年)6代重頼から寺領7396坪の寄進をうけ起立したのが、現在の太宗寺である。内藤家は7代清枚以後は歴代当主や一族が太宗寺に葬られるようになり、現在も墓所が営まれている。

ラベル:お寺 散策 東京 散歩
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2007年05月07日

東京散策 第37回

第37回 新宿・太宗寺を訪ねて<前編>
〜内藤新宿の信仰文化が生んだ都会の異空間〜

太宗寺写真1

太宗寺写真2


霞関山本覚院太宗寺
(かがんざん ほんがくいん たいそうじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:地下鉄丸の内線・新宿御苑前駅 徒歩3分

太宗寺は、慶長年間(1596年〜1615年)に太宗という僧侶が建てた「太宗庵」が前身。太宗は、現在の新宿御苑一帯を下屋敷としていた内藤家の信望を得て、寛永6年(1629年)内藤家第5代正勝逝去の際には葬儀を一切とりしきり、墓所もこの地に置くことになった。これが縁で、寛文8年(1668年)6代重頼から寺領7396坪の寄進をうけ起立したのが、現在の太宗寺である。内藤家は7代清枚以後は歴代当主や一族が太宗寺に葬られるようになり、現在も墓所が営まれている。

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2007年05月06日

東京散策 第36回

第36回 品川・海雲寺を訪ねて<後編>
〜火伏せの荒神様が祀られているお寺〜

海雲寺写真3

海雲寺写真4


龍吟山 海雲寺
(りゅうぎんざん かいうんじ)

宗派:曹洞宗
本尊:十一面観音像
交通:京浜急行・青物横丁駅 徒歩5分

龍吟山海雲寺は建長3年(1251年)僧不山によって開基。はじめは庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺境内にあって臨済宗であった。慶長元年(1596年)、海晏寺五世分外祖耕(ぶんがいそこう)大和尚を開山とし、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661年)に海雲寺になった。本尊に十一面観音菩薩と、火と水の神である千躰荒神を祀る。3月と11月の27日、28日には、千躰荒神祭の参詣者で賑わう。

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2007年05月05日

東京散策 第35回

第35回 品川・海雲寺を訪ねて<前編>
〜火伏せの荒神様が祀られているお寺〜

海雲寺写真1

海雲寺写真2


龍吟山海雲寺
(りゅうぎんざん かいうんじ)

宗派:曹洞宗
本尊:十一面観音像
交通:京浜急行・青物横丁駅 徒歩5分

龍吟山海雲寺は建長3年(1251年)僧不山によって開基。はじめは庵瑞林(あんずいりん)といい、海晏寺境内にあって臨済宗であった。慶長元年(1596年)、海晏寺五世分外祖耕(ぶんがいそこう)大和尚を開山とし、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661年)に海雲寺になった。本尊に十一面観音菩薩と、火と水の神である千躰荒神を祀る。3月と11月の27日、28日には、千躰荒神祭の参詣者で賑わう。

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2007年05月04日

東京散策 第34回

第34回 築地・本願寺を訪ねて<後編>
〜海の上に造られた、関東最大の念仏道場〜

築地本願寺写真3

築地本願寺写真4

本願寺築地別院
(ほんがんじ つきじべついん)

宗派:浄土真宗本願寺派
本尊:阿弥陀如来
交通:地下鉄日比谷線・築地駅下車 徒歩1分
   地下鉄有楽町線・新富町駅下車 徒歩5分

元和3(1617)年、京都西本願寺の別院として、第12代宗主准如上人に
よって建立。浅草近くの横山町にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていたが、明暦3(1657)年、有名な振袖火事で焼失。幕府の区画整理のため旧地への再建が許されず、その替え地として下付されたのが現在の場所。しかし当時は八丁堀の海の上だったので、佃島の門徒が中心になり海を埋め立てて土地を築き、延宝7(1679)年に再建。しかし、関東大震災で本堂が崩壊し。昭和9(1934)年に現在の本堂が完成した。

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2007年05月03日

東京散策 第33回

第33回 築地・本願寺を訪ねて<前編>
〜海の上に造られた、関東最大の念仏道場〜

築地本願寺写真1

築地本願寺写真2

本願寺築地別院
(ほんがんじ つきじべついん)

宗派:浄土真宗本願寺派
本尊:阿弥陀如来
交通:地下鉄日比谷線・築地駅下車 徒歩1分
   地下鉄有楽町線・新富町駅下車 徒歩5分

元和3(1617)年、京都西本願寺の別院として、第12代宗主准如上人に
よって建立。浅草近くの横山町にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていたが、明暦3(1657)年、有名な振袖火事で焼失。幕府の区画整理のため旧地への再建が許されず、その替え地として下付されたのが現在の場所。しかし当時は八丁堀の海の上だったので、佃島の門徒が中心になり海を埋め立てて土地を築き、延宝7(1679)年に再建。しかし、関東大震災で本堂が崩壊し。昭和9(1934)年に現在の本堂が完成した。

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2007年05月02日

東京散策 第32回

第32回 立川・普濟寺を訪ねて<後編>
〜武蔵国の歴史を伝える多摩の名刹〜

普濟寺写真4

普濟寺写真3

玄武山普濟寺
(げんぶさん ふさいじ)

宗派:臨済宗建長寺派
本尊:聖観世音菩薩
交通:JR立川駅下車 徒歩10分

玄武山普濟寺は、立川市の多摩川を望む高台にあり、多摩一円に末寺18ヶ寺を有する名刹である。その開創は古く、南北朝時代の文和2年(1353年)で、当時立川一帯を領有していた立川宮内少輔宗恒が、鎌倉建長寺から物外可什禅師を招いて開山とした。そして、その居城の一隅に一族の菩提寺として、一宇を建立したことにはじまる。「普濟寺」の名は、中国の佛教四大聖地の一つと同名。普は「あまねく」済は「すくう」という意味があり、「全ての人々を救済する」という大乗佛教の教えを示す名称。

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2007年05月01日

東京散策 第31回

第31回 立川・普濟寺を訪ねて<前編>
〜武蔵国の歴史を伝える多摩の名刹〜

普濟寺写真1

普濟寺写真2

玄武山普濟寺
(げんぶさん ふさいじ)

宗派:臨済宗建長寺派
本尊:聖観世音菩薩
交通:JR立川駅下車 徒歩10分

玄武山普濟寺は、立川市の多摩川を望む高台にあり、多摩一円に末寺18ヶ寺を有する名刹である。その開創は古く、南北朝時代の文和2年(1353年)で、当時立川一帯を領有していた立川宮内少輔宗恒が、鎌倉建長寺から物外可什禅師を招いて開山とした。そして、その居城の一隅に一族の菩提寺として、一宇を建立したことにはじまる。「普濟寺」の名は、中国の佛教四大聖地の一つと同名。普は「あまねく」済は「すくう」という意味があり、「全ての人々を救済する」という大乗佛教の教えを示す名称。

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2007年04月30日

東京散策 第30回

第30回 板橋・乗蓮寺を訪ねて<後編>
〜ひっそりと佇む東京大仏〜

乗蓮寺写真3

乗蓮寺写真4

赤塚山乗蓮寺
(あかつかやまじょうれんじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:東武東上線 成増駅北口から、
   赤羽駅西口行(又は志村三丁目駅行)
   バス乗車6分。赤塚八丁目下車 徒歩5分
   都営三田線 西高島平駅より徒歩20分

乗蓮寺は「東京大仏」で有名なお寺である。開創は室町時代の応永年間(1394〜1428年)頃といわれており、開山は英蓮社了賢無的和尚。もと江戸四宿の一つ、中仙道の板橋宿の中心にあり、徳川歴代将軍の「御休処」だった。昭和48年に板橋区仲宿から現在の赤塚に移転。現在の立地は武蔵野台地の端に位置し、緑豊かな閑静な地域である。板橋十景のうち約半数が周辺に集まっており、赤塚城址・板橋区立美術館・区立赤塚植物園・都立赤塚公園・区立赤塚溜池公園などがあり、散策する人を多く見かける。

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2007年04月29日

東京散策 第29回

第29回 板橋・乗蓮寺を訪ねて<前編>
〜ひっそりと佇む東京大仏〜

乗蓮寺写真1

乗蓮寺写真2

赤塚山乗蓮寺
(あかつかやまじょうれんじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀仏
交通:東武東上線 成増駅北口から、
   赤羽駅西口行(又は志村三丁目駅行)
   バス乗車6分。赤塚八丁目下車 徒歩5分
   都営三田線 西高島平駅より徒歩20分

乗蓮寺は「東京大仏」で有名なお寺である。開創は室町時代の応永年間(1394〜1428年)頃といわれており、開山は英蓮社了賢無的和尚。もと江戸四宿の一つ、中仙道の板橋宿の中心にあり、徳川歴代将軍の「御休処」だった。昭和48年に板橋区仲宿から現在の赤塚に移転。現在の立地は武蔵野台地の端に位置し、緑豊かな閑静な地域である。板橋十景のうち約半数が周辺に集まっており、赤塚城址・板橋区立美術館・区立赤塚植物園・都立赤塚公園・区立赤塚溜池公園などがあり、散策する人を多く見かける。

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2007年04月28日

東京散策 第28回

第28回 中野・新井薬師を訪ねて<後編>
〜目の仏様と親しまれている町の寺院〜

新井薬師写真3

新井薬師写真4

新井山梅照院薬師寺
(あらいやまばいしょういんやくしじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来と如意輪観音表裏二佛一体
交通:西武新宿線 新井薬師前駅下車 徒歩5分

梅照院は通称「新井薬師」と呼ばれ、目の薬師として親しまれている寺院。梅照院の本尊は、鎌倉時代の代表的な武将、新田家代々の守護仏だったが、南北朝の戦乱の中、消失。その後、相模国から行春という僧が新井の地に草庵を結んだ。すると不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が出るという現象が夜毎に起こり、天正14年(1586年)その木の穴から尊像が発見され、その尊像を安置するためにお堂を建立したのが梅照院の始まりとされている。この本尊は、薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)で弘法大師の作と伝えられている。

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2007年04月27日

東京散策 第27回

第27回 中野・新井薬師を訪ねて<前編>
〜目の仏様と親しまれている町の寺院〜

新井薬師写真1

新井薬師写真2


新井山梅照院薬師寺
(あらいやまばいしょういんやくしじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来と如意輪観音表裏二佛一体
交通:西武新宿線 新井薬師前駅下車 徒歩5分

梅照院は通称「新井薬師」と呼ばれ、目の薬師として親しまれている寺院。梅照院の本尊は、鎌倉時代の代表的な武将、新田家代々の守護仏だったが、南北朝の戦乱の中、消失。その後、相模国から行春という僧が新井の地に草庵を結んだ。すると不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が出るという現象が夜毎に起こり、天正14年(1586年)その木の穴から尊像が発見され、その尊像を安置するためにお堂を建立したのが梅照院の始まりとされている。この本尊は、薬師如来と如意輪観音の二仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)で弘法大師の作と伝えられている。

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2007年04月26日

東京散策 第26回

第26回 小石川・源覚寺を訪ねて<後編>
〜庶民に親しまれる、こんにゃくえんま〜

源覚寺写真3

源覚寺写真4

常光山向西院源覚寺
(じょうこうざんこうさいいんげんかくじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:地下鉄丸ノ内線・南北線、後楽園駅 徒歩3分
   地下鉄三田線・大江戸線、春日駅 徒歩3分

寛永元年(1624)、定誉随波上人により開山。「こんにゃくえんま」として知られ、健康とくに眼病治癒や、開運の祈願に多くの人が参拝に訪れる。建立後360年余りの間に幾度の火災や東京大空襲など被害に合うも改修を重ね、移動することなく創建時の場所に存在ている。門前一帯には古くから商業地が発達。信仰のメッカであると同時に、地域開発の目玉として重要な役割を果たしてきた。

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2007年04月25日

東京散策 第25回

第25回 小石川・源覚寺を訪ねて<前編>
〜庶民に親しまれる、こんにゃくえんま〜

源覚寺写真1

源覚寺写真2

常光山向西院源覚寺
(じょうこうざんこうさいいんげんかくじ)

宗派:浄土宗
本尊:阿弥陀如来
交通:地下鉄丸ノ内線・南北線、後楽園駅 徒歩3分
   地下鉄三田線・大江戸線、春日駅 徒歩3分

寛永元年(1624)、定誉随波上人により開山。「こんにゃくえんま」として知られ、健康とくに眼病治癒や、開運の祈願に多くの人が参拝に訪れる。建立後360年余りの間に幾度の火災や東京大空襲など被害に合うも改修を重ね、移動することなく創建時の場所に存在ている。門前一帯には古くから商業地が発達。信仰のメッカであると同時に、地域開発の目玉として重要な役割を果たしてきた。

ラベル:お寺 散策 東京 散歩
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2007年04月24日

東京散策 第24回

第24回 西新井・總持寺を訪ねて<後編>
〜西新井大師として親しまれる、弘法大師開創の名刹〜

西新井大師写真3

西新井大師写真4

五智山遍照院総持寺
(ごちやま へんしょういん そうじじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:弘法大師
交通:東武鉄道大師線・大師駅 徒歩1分

西新井大師は天長3年、弘法大師によって開創された。諸国を巡る旅に出られた弘法大師が当地に立ち寄られたところ、日照りによる水不足で作物は枯れ、悪い病気が蔓延して人々が苦しんでいた。そこで、弘法大師自ら十一面観音の尊像を刻まれ、その残った木材で御自身の像を作り、すべての災厄はこの像が身代わりになるようにと、これを涸れ井戸に投じて21日間の御祈願をされた。するとその井戸からこんこんと泉が湧き出て、その水を病気の村人達に分け与えたところ、病がたちまち平癒したと言われている。また、その井戸がお寺の西側にあったことから「西新井」の地名がついたと伝えられている。

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2007年04月23日

東京散策 第23回

第23回 西新井・總持寺を訪ねて<前編>
〜西新井大師として親しまれる、弘法大師開創の名刹〜

西新井大師写真1

西新井大師写真2

五智山遍照院総持寺
(ごちやま へんしょういん そうじじ)

宗派:真言宗豊山派
本尊:弘法大師
交通:東武鉄道大師線・大師駅 徒歩1分

西新井大師は天長3年、弘法大師によって開創された。諸国を巡る旅に出られた弘法大師が当地に立ち寄られたところ、日照りによる水不足で作物は枯れ、悪い病気が蔓延して人々が苦しんでいた。そこで、弘法大師自ら十一面観音の尊像を刻まれ、その残った木材で御自身の像を作り、すべての災厄はこの像が身代わりになるようにと、これを涸れ井戸に投じて21日間の御祈願をされた。するとその井戸からこんこんと泉が湧き出て、その水を病気の村人達に分け与えたところ、病がたちまち平癒したと言われている。また、その井戸がお寺の西側にあったことから「西新井」の地名がついたと伝えられている。

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2007年04月22日

東京散策 第22回

第22回 品川・泉岳寺を訪ねて<後編>
〜源の泉、海岳に溢れる、忠臣蔵ゆかりの寺〜

泉岳寺写真3

泉岳寺写真4

萬松山泉岳寺
(ばんしょうざんせんがくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:JR線品川駅高輪口 徒歩15分
   都営浅草線泉岳寺駅A2出口 徒歩3分

泉岳寺は、慶長17年(1612年)に、門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して、徳川家康が外桜田(現在のホテルオークラの近く)に創立した寺院。寛永18年(1641年)の大火によって焼失し、現在の高輪の地に移転してきた。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転し再建された。一般的には「忠臣蔵」の赤穂義士のお墓があることで名が知られているが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三か寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていた。その伝統は現在も引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が現在もいる。

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2007年04月21日

東京散策 第21回

第21回 品川・泉岳寺を訪ねて<前編>
〜源の泉、海岳に溢れる、忠臣蔵ゆかりの寺〜

泉岳寺写真1

泉岳寺写真2

萬松山泉岳寺
(ばんしょうざんせんがくじ)

宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
交通:JR線品川駅高輪口 徒歩15分
   都営浅草線泉岳寺駅A2出口 徒歩3分

泉岳寺は、慶長17年(1612年)に、門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して、徳川家康が外桜田(現在のホテルオークラの近く)に創立した寺院。寛永18年(1641年)の大火によって焼失し、現在の高輪の地に移転してきた。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転し再建された。一般的には「忠臣蔵」の赤穂義士のお墓があることで名が知られているが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三か寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていた。その伝統は現在も引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が現在もいる。

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2007年04月20日

東京散策 第20回

第20回 日野・金剛寺を訪ねて<後編>
〜高幡不動として親しまれる、土方歳三の菩提寺〜

高幡不動写真3

高幡不動写真4

高幡山明王院金剛寺
(たかはたさんみょうおういんこんごうじ)

宗派:真言宗智山派(別格本山)
本尊:不動明王
交通:京王線高幡不動駅南口下車 徒歩5分
   多摩モノレール高幡不動駅下車 徒歩5分

古来関東三不動の一つに挙げられ、高幡不動尊として親しまれている。1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まる。足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれ、鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめた。江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめる。総重量1100キロを超える巨像で、古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は、此の度千年ぶりの修復作業が完了し、現在奥殿に安置されている。

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2007年04月19日

東京散策 第19回

第19回 日野・金剛寺を訪ねて<前編>
〜高幡不動として親しまれる、土方歳三の菩提寺〜

高幡不動写真1

高幡不動写真2

高幡山明王院金剛寺
(たかはたさんみょうおういんこんごうじ)

宗派:真言宗智山派(別格本山)
本尊:不動明王
交通:京王線高幡不動駅南口下車 徒歩5分
   多摩モノレール高幡不動駅下車 徒歩5分

古来関東三不動の一つに挙げられ、高幡不動尊として親しまれている。1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が山中に不動堂を建立し、不動明王を安置したのに始まる。足利時代の高幡不動尊は「汗かき不動」と呼ばれ、鎌倉公方をはじめとする戦国武将の尊祟をあつめた。江戸時代には関東十一檀林に数えられ、火防の不動尊として広く庶民の信仰をあつめる。総重量1100キロを超える巨像で、古来日本一と伝えられた重文丈六不動三尊は、此の度千年ぶりの修復作業が完了し、現在奥殿に安置されている。

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